北からの脱出を目指して

2002年5月8日に起きた『瀋陽総領事館北朝鮮人亡命者駆け込み事件』の映像が日本で報道された時、日本でも大きな衝撃が起きました。この映像を撮影していたのはNGO団体です。日本大使館の職員の応対や事件への関与などが批判の対象になりました。一家は中国人民武装警察部隊に取り押さえられましたが、その後無事に家族で韓国への亡命を果たしました。

北朝鮮と同盟国にあり国境を接している中国は、この事態を重く見て同じような事件が起こらないように領事館の周囲を厳重警備することになり、脱北者に対する対応を厳しくしていますがそれでも北を出て亡命を願う脱北者の人たちは増え続けています。

政治的な理由からの変化

かつての脱北者は、政治的な理由で北朝鮮からの亡命をしていましたが、今は北朝鮮での食料難といった生活の苦しさでの理由から北朝鮮から国外へ脱出する人へと亡命の理由が変わっています。

かつて北朝鮮を脱出して韓国に亡命してくる人たちは、大抵の理由が政治的な理由で北朝鮮の国から追われた人々でした。韓国でも1980年代までは厳しい反共産主義の独裁政権ということもあって、北から逃れてきた人はまず偽装亡命してきたスパイでないかと徹底的に取り調べられました。実際に多数のスパイが韓国に潜入していたということもあります。

1990年代から、韓国で脱北者に対する措置が寛大になっていくと、北朝鮮からの亡命者つまり脱北者が増えていきます。1993年には北朝鮮で大水害が発生しましたが、それ以降も水害などが毎年のように発生して、深刻な食糧難が報じられるようになると、大飢饉が報じられた1995年から亡命者がますます増え始めていき、2002年には亡命者が遂に1,000人を超えました。

2004年には韓国に亡命した脱北者が累計6,000人を超え、2007年2月16日に遂に1万人を超えたと韓国統一部当局者が明らかにしています。脱北して後にいったん韓国で生活してから、韓国人として日本に入国してそして日本で生活する人たちもいるといいます。その人たちはほとんどが女性でその人数は1000人以上だとも言われています。

日本に直接渡った北から脱出した人たちは、約200人と考えられています。脱北者は中国や東南アジアに潜伏していると思われているので潜在的な数は数十万人になると推測されています。

増える脱北者(大韓民国・統一部のデータによる)

  • 1989年まで(平成元年まで)・・・ 607人
  • 1990年:平成2年・・・ 9人
  • 1991年:平成3年・・・ 9人
  • 1992年:平成4年・・・ 8人
  • 1993年:平成5年・・・ 8人
  • 1994年:平成6年・・・ 52人
  • 1995年:平成7年・・・ 41人
  • 1996年:平成8年・・・ 56人
  • 1997年:平成9年・・・ 85人
  • 1998年:平成10年・・・ 72人
  • 1999年:平成11年・・・ 148人
  • 2000年:平成12年・・・ 312人
  • 2001年:平成13年・・・ 583人
  • 2002年:平成14年・・・1,138人
  • 2003年:平成15年・・・1,281人
  • 2004年:平成16年・・・1,894人
  • 2005年:平成17年・・・1,387人
  • 2006年:平成18年・・・1,578人
  • 2007年:平成19年・・・2,544人
  • 2008年:平成20年・・・2,809人
  • 2009年:平成21年・・・2,927人
  • 2010年:平成22年・・・2,379人
  • 2011年:平成23年・・・2,737人

中国東北部の脱北者たち

中国東北部の遼寧省・吉林省・黒竜江省に潜伏する脱北者は、30万人〜40万人と見積もられています。2009年の中国への脱北者は2万5000〜3万人です。そのうちの4割は中国にそのままとどまりますが、6割の人たちはベトナムやモンゴルなどの第三国に渡ります。そして女性のほとんどは売春婦になります。

人身売買に関する米国務省報告書(2009年度)によると、脱北者してきた人たちのうち実に8割が人身売買の犠牲になっていて、その大半が売春させられたり中国人の妻になります。妻が不要になった夫が、別の男性に転売することも実際に起きています。

暗躍するブローカー

クロッシングの中でも、嘘をいって北朝鮮から脱出を望む人たちに手助けと称しながら、お金を手にするブローカーが登場しますが、脱北を商売にしているブローカーが少なくとも150人ほど存在しています。そしてこのブローカーをしている人たちのほとんどが朝鮮族といわれていますあ。

大飢饉が起きた1990年代から、違法な手段で国境を越えて中国に逃れる北からの人民が急増したと伝えられていますが、脱北者は中国朝鮮族が多く住む延辺朝鮮族自治州に隠れて住んでいました。

同じ朝鮮民族ということから、北での境遇を哀れんだ中国朝鮮族が北から逃れてきた人たちを援助していましたが、その後も脱北者は増え続ける一方で、犯罪も増えるようになり、治安に影響を与えるようになりました。

中国政府も最初の頃は、脱北者のことを放置していましたが、中国政府も厳しい摘発に乗り出すことになりました。中国政府は脱北者を難民(保護を義務づけられる)とは認定しないため、不法入国者としています。

本来は国連の難民条約33条に「難民を迫害の待つ国に送還してはならない」という規定がありますが、中国政府は「中朝間に難民問題は存在しない」「経済難から国境を越えたごく少数の朝鮮の不法越境者がいる」という立場をとっています。

脱北者の多くは、クロッシングのヨンスのように中国東北部で低賃金労働に従事していますが、摘発を逃れるために住居を転々とすることを余儀なくされているため、生活は安定していません。女性は嫁不足の中国人農家と結婚したり売春婦に身を落とす女性も数多くいます。そして親を失った孤児たちは、路上で物乞いをしています。しかし中には、北朝鮮と密貿易をして財をなすひともいることは事実です。

脱北した女性は人身売買の対象になっています。20~24歳の女性は7000元、25~30歳の女性は5000元、30歳以上は3000元で売られています。

見つかれば強制送還

中国と北朝鮮は、長年の友好国ということもあって中国政府が北朝鮮との関係も考慮した措置となっています。中国警察に摘発された脱北者は、みな北朝鮮へ強制送還されています。北朝鮮では許可のない出国は厳しく禁じられているため、強制送還された人々は死刑を含んだ厳しい処罰が課せられます。

厳しい処罰には、拷問といった非人道的行為が数多く伝えられているため、脱北者を強制送還する中国政府に対して国際社会から厳しい非難が寄せられていますが、未だに中国政府は脱北者に対する姿勢を改めていません。その理由には、もし難民と認定してしまうと、脱北者が急増すること。脱北者が一気に増えると、中国東北部に混乱が生じかねないことにつながり、友好国でもある北朝鮮の体制を揺るがしかねることへと繋がるからです。

強制送還された脱北者がすべて処刑されたり、過酷な政治犯収容所に送られる訳ではありません。キリスト教会や韓国系団体と接触した者、犯罪を犯した者は厳しく罰せられて、処刑されることもありますが、その他は労働教化所などで比較的短期間収容されて、再教育されますが労働教化所での扱いなどはかなり厳しいのは間違いありません。全部が全部強制収容所送りにしないのには理由があって、中国から強制送還される脱北者の数が多すぎるからです。実際に何度も脱北を繰り返す者が多いとされていますが、中国が強制送還した脱北者の実に1/3が処刑されているのもこれもまた事実です。

外貨を獲得する

中国東北部に数多く住んでいる脱北者たちですが、脱北者の全員が韓国への移住を希望しているわけではありません。遼寧省・吉林省・黒竜江省に住んでいる多くの人たちは、出稼ぎのため。北朝鮮よりはるかに豊かな中国へお金を稼ぐ出稼ぎをするために、国境を越えているのが実情です。

ヨンスのように中国で働いて北朝鮮に残した家族へ仕送りをしたり、密貿易に従事して国境を頻繁に行き来しています。国境を渡るのは、生活が苦しいという理由からで北朝鮮国家への反体制的な意識まではありません。

そのため、家族がいる故郷を捨ててまで韓国へ移住したいという意思もないようです。どちらかというと、メキシコ人がカリフォルニアへ出稼ぎに不法越境するような存在です。

北朝鮮政府は国境を封鎖して徹底的に取り締まっていないのが実情で、本音のところでは貴重な外貨をもたらしてくれるとある程度、黙認している形跡があります。そして黙認することで、不満をある程度解消する「ガス抜き」の効果もあります。

脱北ビジネス

脱北者の中に、相互扶助ネットワークが存在しています。このネットワークはごく自然に発生したようなものなので、ひとつの大きな組織ではありません。小さなグループが幾つも存在しているような状況です。

これらのグループでは、それぞれ脱北の手引きをしたり、隠れ家の提供をします。また脱北者が働けるような仕事を探したり、密貿易の斡旋などを行っています。このグループの手引きがないと国境を越えることも中国官憲の取締りを逃れることも難しくなっています。

もちろん、無料ということではありません。ある程度のお金の負担が必要になります。韓国へ渡航したい場合には、かなり高額な費用を支払えば手配してくれますが、それだけの高額な費用を支払える人はごく一部にしかいません。この人たちのことを日本では「脱北ブローカー」と呼んでいます。

悪質なグループにかかると法外な報酬を強要されたり、女性や子供は人身売買に売り飛ばされることもあります。彼らの存在は、あくまでもお金というビジネスでの手助けになっていて、北朝鮮政府をどうにかしようといった反政府的グループではありません。ここ近年は韓国へ亡命した人たちが急増しましたが、この急増の背景には脱北ブローカーの存在があると指摘されているため、北朝鮮の中に脱北ビジネスという産業が成立していると考えられています。

反政府グループ

中国東北部を拠点にする小規模な北朝鮮反政府グループは幾つか存在してはいるようですが、韓国や日本の北朝鮮民主化運動団体へ北朝鮮内部の映像を隠し撮りして提供したり、内部資料を持ち出したりする程度のことしかできないのが実情です。韓国へ移住を希望する脱北者を支援する活動ではある一定の効果をあげています。

このグループは金正日政権へ脅威を与えるテロや武装ゲリラを行えるような存在ではありません。資金もなければ、そのグループの規模もとても小さなグループです。中国が北朝鮮の同盟国ということもあり、中国政府からの取締りも非常に厳しいことから、脱北者の間で大規模な北朝鮮反政府グループが形成される可能性はきわめて低いといえるでしょう。