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◉ロケハン1日目(2007年5月15日)

結局、モンゴル行きの飛行機に乗りこんだ。ロケハンに参加するためだった。
先に出発したクロッシングの制作チームはすでにゴビ砂漠のどこかをさ迷っており、私とHプロデューサーは遅れて合流することになったのだ。
北朝鮮から中国へ、中国でお金を貯めてモンゴルへ、モンゴルで国境守備隊に逮捕されて韓国大使館へ・・・このようにして5年後、ついに韓国の地を踏むことに成功した本映画の助監督さんの脱北ルートを、制作チームは、そのままたどっているところだった。
飛行機がモンゴル上空に接近すると、モンゴルの雲が空を覆った。
白いやわらかな雲の海を眺めながら、私はまるで岩を飲み込んだかのような重い気持ちになった。
私はこの映画で脱北者の役を任せられた。
しかし、私が脱北者について知っていることは、数日前にインターネットで読んだある脱北者が書いた手記と、何冊かの本、そして脱北者のスタッフと交わした話くらいだ。
あと2ヶ月も経たないうちに撮影が始まるというのに、私が脱北者を演じるには何かが決定的に不足していた。
空腹、絶望、切迫感、生き別れ、死...
この世で人間が経験するであろうすべての苦痛を、一挙に網羅したかのような彼らの辛い心情を、どう表現したらいいのか...それは頭で理解するものではなく、心臓で感じなければいけないものだ。しかし、到底できそうになかった。
◉ロケハン2日目(2007年5月16日)

モンゴル・ウランバートルから、300キロ程度離れた砂漠の真ん中のゲル(モンゴル式テント)を目指し、8時間以上、車に揺られた。行き着いたゲル村は閑散としていて、クロッシング制作チームしかいない。
私とHプロデューサーが一緒に、ゲルを使う。
ゲルの出入り口、小さな木の扉から見て、左側に私のベッド、真ん中にブリキでできた暖炉と薪の山、右側にHプロデューサーのベッドがある。
この日の夜のことは忘れられない。
共同シャワー室では、熱いお湯が一滴ずつ落ちるのでかなりの時間かかったが、それは問題ではなかった。さっぱりした体で、夜8時半頃、一行と食堂で集まり食事をしたが、ごはんがのどを通らない。食べ始めたばかりで、申し訳なかったが、皆より先にゲルへ戻った。
狭いゲルの中にはすでに仲間が用意してくれた暖炉に薪がくべられており、サウナに入ったように熱気が溢れていた。しかし不思議なことに寒気がした。背中から鳥肌が立ち心臓まで震えるような、初めて経験するひどい悪寒だった。迷わずベッドに横になり布団をかけ、その上に毛布までかぶった。すぐ消えると思っていた悪寒は布団の中でも私を苦しめ続けた。
1メートルほど離れたところにある暖炉はその熱気がピークに達しテントの表面まで赤く火照っていた。顔に来る熱気が熱すぎて寝返った。外部から伝わる熱気とは関係なく、私の体はひどく震え続け、細胞の隅々まで染み渡る寒気で心臓が凍りつきそうだった。
食事後、戻ってきたプロデューサーは震える私を心配そうに見ていた。彼は暖炉に薪をくべ続けた。暖炉が熱くなりすぎて今にも爆弾のように爆発しそうだった。
その後、私は嘔吐しはじめた。 嘔吐するたび、私はゲルの外に裸足で走り出た。
外に出るたびに襲う寒気で、嘔吐は止まらず、ベッドとの往復を繰り返した。
嘔吐しながらふと見上げた夜空…巨大な絨毯のように世界を包んでいた。
口では言い表せない自然の偉大さがしばし寒気を忘れさせてくれた。
そしてある考えが脳裏をよぎった。
「そうか…彼らはこうして死んでいったんだ」
そうだ。モンゴルの砂漠をさ迷って凍え死んでいった脱北者が最後に見た風景も、あの夜空の美しい星の光だったはずだ。
このどうしようもない悪寒を感じながら砂漠のどこかに身を横たえ、震え続けたあと静かに死んでいったんだ。
ベッドに戻り再び横になると、はじけそうな胸の中で誰かがこう言った。
“驕慢を捨てろ。謙虚になれ。お前を捨てて私を受け入れろ”
その後、2、3日は何も食べられなかったが、回復すると、すぐに空腹が襲い、食べることしか頭になくなってしまった。3日食べなかっただけなのに、この世で一番お腹がすいた人間になってしまった。そしてふと、彼らに少し近づけた気がした。
